第39章 いつでも会える

 
 

掲示板に来てくれているまるFamilyに紹介してもらった子供向けの絵本。

「ほたるの墓」や「ひめゆりの塔」「アルプスのハイジ」「フランダースの犬」・・・など悲しい話は盛りだくさん世の中にあふれている。犬と女の子の話ときいて「ああ犬が死んで女の子の胸の中に生きている話系か」と思いきや・・・

 

シロの中にミキちゃんがいる話だった。

 

私も私の手の中で目の前でたくさんの動物が死んでは通りすぎていった。私はみんな時間をかけて1つ1つを思い出の中へ流して来た。すべて時間が和らげてくれていた。

犬にとって時間の感覚はどれくらいあるのだろうか・・いつも思う。私が家を空けている時はなは長居と感じているのだろうか・・・。一時間なら「今日は早かったね!」15時間なら「遅かったねっ!」と思っているのだろうか・・・。

 

この絵本はシロの心の中を描いたもので書かれているシロの気持ちは本当だと思う。犬に時間の観念がない場合、飼い主をなくす・・・それはその犬が死ぬまで続く本当につらいことになるだろう。

この本を反則技と私が言うのは犬にはそうにしか思えない、飼い主のことを思い出にできない犬たちの気持ちを想像して書くことである。子供が犬を懐かしむストーリーならよくあることだし子供の心の成長を純真に感動することができる。しかし、ひたむきな犬の気持ちを代弁するのは心に残りすぎる・・・・はなと比べざるを得ない。

私に先立たれ はなが私を毎日毎日探していたらどうするだろう・・・私はきっとミキちゃんのように声はかけない。はなが毎日涙をためた目をつむって私を思い出していたら・・と考えるとそれこそ居たたまれない。人がすべてを思い出にできるよう犬も時間をかけて思い出にして欲しい。できないから忠犬八公があるのだ・・・。

―――私がはなを思い出す・・・怒って私をにらみつける顔が浮かんだ。

 

この本を読んだときいろいろな思いを感じたが近所の一頭の犬を思い出した。家の人が顔を出す窓に向かって一日中座っている。動物病院で働いていたとき治療を満足に受けさせてもらえない犬や猫を見て「私がこの犬を引き取って・・・」と思ったことがなんどかある。

 

この絵本の中のフレーズに「ミキちゃんの犬」とシロが自分で言っているところがある。犬は最初に暮らした人のことを忘れないし、その人しか見えていない。

はなは自分でnojiの犬と思っているだろうし、それを貫くことで幸せを感じてくれている。それを裏切らない、傷つけないように私ははなの暮らしを貫きたいと思う。

 

 

すべての犬はシロのように飼い主のことしか思っていない。

そのことを忘れないですべての飼い犬達が家族からの愛情を感じてくらして欲しいと心から願う。