番外編 はなの繁殖(3)

 
 

繁殖への道(3)

はなの出産の日が近づいてきた。

戦争の日々を前にゆっくりしていられるこの時間、思い起こすこといろいろある。

今回のはな交配〜出産は足掛け3年の長期の話となった。はなの繁殖には欠かせないキーとして”犬のメーリング”がある。ここに書いた「はなには子供を産ませようと思っている」に発し反対派賛成派のいろいろな意見を聞き自分を最終的に固めたある意味大切な場所でもある。

私には私の理想とするマラミュート像があり、はなの繁殖に際しては私ははなのフィギュアを作るとしたらどこをデフォルメするかはっきり認識しているつもりである。

99年の11月はなは彼女が産まれたブリーダーのところで交配を試みた。

私ははなの欠点であるところを増徴してしまう可能性があるのではなとはまったく血縁のない犬と交配が希望だった。その犬はなとまったく血縁関係がなく、はなが持っていないものを多数持ち、ということでそのオスを選んだ。私の中では年齢の高いオス犬の精子には不安を持つが相手のオス犬はぎりぎりの年齢だったのもあり即決した。

しかしはなは犬がたくさんいるブリーダーのその環境ではなはナーバスになり妊娠するまでにはいたらなかった。

私ははなを買ったときから、はなの繁殖のことは真剣に考えてきた。ブリーダーからオスの子犬を買わないかと言われたこともあったが、私には成長していない、マラミュートとしてはどういう形に成長するかはっきりわかっていないはなに対し、相手の犬としてこれまたどう育つがわからない子犬を買うことはできなかった。

2頭とも子犬の時点でそのペアは正しいのか誰がわかると言うのだろうか?

 

私がいつも思っていたことは・・・ある人が言った

繁殖の唯一の意義はその犬種をよくすること」という言葉であった。

 

成長したはなに成長した「これだ!!」と思う相手を見つけてやれなかったらはなの繁殖はなかったことにしようと決めていた。

 

もう1つはなの繁殖には大きなキーがあった。

仕事を持つ私にとって実家の家族が協力してくれない限り実現しない話だった。はなに子供を産ませることに両親はず〜〜〜〜〜っと反対していた。なんども話し合い双方納得する形で収まった。

「ブリーダーを絡めず、ブリーダーに頼らない」

「子犬の新しい家族をお前が見つけないで・・・何のためにはなに子供を産ませるんだ?」両親の素朴な疑問であった。子犬をブリーダーの商品にせず、新しい飼い主さんを自分で見つける、それをするならということで了解と協力を得ることができた。

はなは私にとって大切な犬である。はなの子供も大切なのは言うまでもない。もう一つ、相手も大切に飼われている犬である。その子供たちの幸せを私が保証してやらなければといけないということである。

そしてその子犬たちの一生を左右する大切な里親探しをブリーダー任せでするのではなく、私が私の手ではなの子供を欲しいと言ってくれている人に渡してあげたい。私がその家まで届ける・・・それがしたいと思ったのである。いつまでもはなの子犬達と一緒に遊べるように、イベントがある時声をかけ家族みんなではなや私と会えるように、自分で見つける・・・これではなの繁殖の体制は整った。

 

はなの年齢も2歳となる2000年。半ば諦めかけていた私たちに運命の出会いがあった。あるとき、とある場所でそのオス犬と出会った。私に強烈な印象を残した。

はなのどの部分をそのオスで補ってもらい、そのオスのどの部分を子犬にほしいと思っているかの詳細は控えるが、私がこのオス!と惚れこんだ犬と出会うことができた。

今思っても運命の出会いだった。

はなの期待することはオス犬のいいところをすべて出し、健康な子犬を育んでくれることそれだけである。この運命の犬との交配1回で私の理想とする犬が出てくるとは思ってはいない。何回かの交配の結果、一番私の理想に近いメスを次の繁殖に繋げていく・・・そこでまた惚れたオス犬と交配してと何世代か重ねていくうちに私の理想とするマラミュートに近くなっていくだろうと思う。これが私のブリーディングのビジョンになる。

 

はなが出産をする前の強い決意として・・・

はなは常にいろいろ言われる犬となっている。すべてはこの飼い主の野島康子がやっていることに起源していると思う。そんなシガラミを持つ人間を飼い主とするはなには100歩譲って我慢をしてもらうが・・・

それを、すべて承知して交配していただいた相手の犬の飼い主や、これから産まれてくる私達の子犬を慈しんで育ててくれる里親先にまでそのゴタゴタを持ちこむ人がいたら私は絶対に許すことはない。

これだけは私が何に代えても守らなければいけないものだと思っている。

 

あとは・・・はながはな自身の命を落とすことなく無事出産を終えてほしいと思う。