北海道放浪の旅6

 
 

北海道放浪の旅

1999年10月13日(水)

本格的に寒くなってきた。

またもやぶらぶらな旅が始まっていた。はながそろそろお疲れのご様子のなのでゆっくり止まりながらの旅にしていた。帯広越え目指し温泉があれば寄り、広いところではなと遊んでの世捨て人の状態が続いた。

初めて行ったオンネトー・・・・これはどうなの?!というくらいすごい湖だった。

このまましばらくここで野宿に決定した。

オンネトーに浸かるはな

   

 

1999年10月14日(木)

オンネトー滞在2日め突入・・・。

紅葉と湖、今が見ごろ過ぎて離れられなかった。本当に何もせずぼやぼやしているので、それだけで地元の人に間違われるに加え、チョークチェーンをなくしたはなにりきFamilyよりいただいたカラーが「秀岳荘」と名前が入っているので事態はさらに複雑に・・・

偽北海道いぬはな。

今日もあちらこちらの展望台に登って紅葉を満喫することに。

 

1999年10月15日(金)

『沈没:業界用語で放浪しているはずなのに定住してしまうことを言う。』

沈没の危機がnojiはなに訪れていた。本当にヤバイ。どんどん友達ができて、これ以上ここにいると私は名古屋に帰らなくなってしまう・・・。

夕べも「はて、なんで私は名古屋に帰るんだったけ?」と考えてしまった。

ダメダメ!!ふ〜〜っ危ない。・・・・・雪が降り出して身動き取れなくなったから帰れない・・・って手が私にはまだ残っている。

 

1999年10月16日(土)

阿寒湖を再度訪ねる。

・・・考えに考えたわけではなく超インスピレーションで藤戸さんの木彫りを分けてもらうことをお願いした。アートギャラリーで最初に見たときに「これ!」と思った熊の彫刻だった。

野宿している女・・・貧乏に違いないと思っている藤戸さんは

「これからの旅にもお金要るし、名古屋に帰ってから働き出したらお金送ってくればいいから熊を連れて行きなさい。」

と言ってくれた。

15年前私が学生だったころ夏に北海道に来たことがあった。

そのときも阿寒湖の人がお金のない貧乏な私に貸して上げるからできたら返してとお金を渡してくれようとした。そんなのわけわかんない。

野宿をしている理由は貧乏なだけではないのはなかなか理解はされない。ちゃんと銀行に寄って全額用意していったので私の物として名古屋に連れて帰ることになった。

熊の家の前でアメリカ人でバイクで野宿っている男の子出合った。

名前はジョナサン。

片言の日本語を使い旅行中だったのに私と英語で話しているうちに緊張も解け楽しさを増したようだった。大体思考回路がいっしょなので登山したりハイキングコースを歩いたりと犬連れに近い行動をしているのでしばらく旅をいっしょに続けることになった。

はなと2人の自炊の食事も気分が変わり楽しい旅になった。

バイクと車の放浪は走るスピードが違うのでなかなか面白くあっちにハイキングコースがあるとかこっちが登れそうだとか探しまわった。雄阿寒岳や大雪や・・・日高の山を登っていたが、なんせ私たちは秋装備でいつも途中で断念。

はなと下山することばっかりだが、彼はちゃんとした装備なのでもう少し行けるようだったが、やはり途中で降りてきていた。

・・・・・・北海道以外にいる人が信じられないだろうが、本当に厳しい寒さが始まっていた。

雄阿寒岳登ったね、はな。

バックパック絶対に買う。あなたには自分の水くらい背負ってもらわないと・・・